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見上げた空は 6

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 * * *  ≪ 6 ≫

 この界隈はいわゆる学生街だ。昔は交通の要所だったらしく古い町並みがそこかしこに残っている。JRと交差した私鉄の駅近くに住宅が集中し、その周辺の広い地域に、規模のさほど大きくない短大や大学が点在していた。おれたちが通っている福祉系大学もそのひとつだったりする。
 おれは大学構内にある映画研究部の部室へ足をのばした。目的は黒木だ。
 部室はとにかくガラクタでいっぱいだった。壁のスチール棚には、歴代の先輩が残した八ミリフィルムやVTRや資料や小道具が雑然と詰めこまれていて、その反対側には粗大ゴミのごときテレビやデッキ類がトーテムポール状に積み上がっている。そんな部屋の中央に鎮座したレトロな応接セットにゆったりと腰かけ、これまた古そうな石油ストーブに当たりながら、黒木はまた本を読んでいた。

「うぃーす」
 おれの声に、黒木は文庫本から眼を離さないまま、片手をちょっとだけ上げて言う。
「サンタは、成功だったか?」
「あ……うん。まあまあ、かな」
 おれは、しばらく黒木の様子をうかがったあと、おそるおそる切り出した。
「……あのさ、黒木くん」
「うん?」
 黒木がわずらわしそうに髪をかき上げる。おれはちょっと口ごもった。
「……をテーマにしたので、何かいい作品ない……かな」
「何? 何をテーマに?」
 思いきって口に出す。
「あ、あの、あ……愛……人、を」
 黒木が本から顔を上げ、黒縁メガネの眼を大きくむいた。
「なんだって、愛人だって? ……宇宙人、じゃなくて?」
「うん」
「地底人、じゃなくて?」
「うん」ああもう黒木、しつこい。
「だからぁ、特撮やアクションばっかりじゃなくて、そういう人間を深く描いたような作品も見ろって普段、黒木くんが言ってることじゃん。せっかく脚本のために勉強しようとしてんじゃん、お願いだから水を差すなよ」
 黒木はおかしそうに含み笑いをしたあと、文庫本を閉じてあごに手を当てるポーズをとった。
「一言で愛人ものって言っても、組み合わせによるよな。大山、どういう組み合わせがいいんだ?」
「え?」
「伴侶のほかに愛人とすると、要するに三角関係なわけだろ。女一人に男二人か、男一人に女二人かで内容はずいぶん違う」

 おれはちょっと考えて「男二人に、女一人」と応えた。黒木が、ふん、と得意げに鼻を鳴らす。
「厳密にいって愛人ものでなくても、観るべき作品として挙げるからよく聞けよ。
『郵便配達はニ度ベルを鳴らす』『「ダイヤルMを廻せ』『生きるべきか死ぬべきか』『ダメージ』『嘆きのテレーズ』『シャンドライの恋』『隣の女』『コックと泥棒、その妻の愛人』『竜馬の妻とその夫と愛人』……」
 そんなにナントカのナントカとナントカのナントカって一気に言われたって憶えられないし、根本的な間違いにも気づいて、おれは途中で遮った。
「あっごめん黒木くん。男一人に、女……が二人だ」厳密には、違うけど。
「それからさ、これぞオススメってやつ一本だけでいいや」

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 黒木は「一本だけ?」と、ちょっと不満そうに顔をしかめたあと
「一本というなら、おれはカウフマン監督の『存在の耐えられない軽さ』を推薦するな。三人の男女の関係と『プラハの春』をからめ、まさに三時間もの長丁場を見事な脚本と演出と役者の力で乗り切っている。官能的な映像表現もじつに巧みだ。それに愛人役レナ・オリンの最後のセリフは深いぞ。肉体的関係がないから友人、あったら愛人だなんて、そんな単純な括りで人間関係は語れないって……」
「ああっ黒木くん、もういいや」
 黒木の『ナントカの耐えられないナントカ』に対する講釈には、もはやこっちが耐えられない。
「もういいって何だよ。人にさんざん喋らせといて」
 黒木が眉間にしわをよせる。
「それにさ、量からいえばたぶんこの、男一人女二人を描いたパターンの方が多いんじゃないかと思うぜ。まあ、作品の良し悪しは別としてさ」
「多いって、なんで?」
 おれが聞くと
「だって、基本的にはこれまで世界じゅうで男中心の社会が続いてたじゃないか。女が間男を作るより、男が浮気をしたり妾をとる方が圧倒的に多かったはずなんだ。国によっては一夫多妻制というのもあるし、日本だってわりと最近まで『浮気は男の甲斐性』『めかけ手かけは男の働き』なんて、言われてたくらいだ」
「メカケテ……何?」
「『めかけ手かけは男の働き』だよ。正妻のほかに愛人を作れるのは金と力に余裕のあるやつで、要するにデキるやつってこと」
「はあ……」
「その場合、当の妾にしてみても経済的な援助を旦那から受けている……つまりさ、金で飼われてるわけだから、要するにどちらも納得ずみってこと。そんなのに周囲があれこれ、とやかく言う筋合いはないって意味さ」
「……金で?」
「飼われてる、だよ」
 おれの頭の中には、またよっちゃんのあの白い顔が浮かんでいた。
「黒木ごめん、映画はもういい」
 おれは逃げるように、部室をあとにした。

 * * *

 これは夢だと、始めから自覚はあった。
 おれは仰向けで眼をつぶったまま、下腹部にもやもやとした快感を感じていた。「ああ、おれ最近ヌイテなかったからこんな夢見てるんだなぁ」なんて考えつつ眼を開けると、細くて白い腰がおれの下半身に覆いかぶさり律動していた。
 不思議と、夢の画面のあちこちにボカシが入ったようになっていて、そのあたりに眼をこらそうとしても目蓋が重くてたまらない。おれは必死になって、自分にまたがる柔らかそうな身体に両手を伸ばした。
「ああ、ン……」悩ましげな声がした。よっちゃんの声のような気がした。

「よっちゃん?」
 そうだ。よっちゃんのことが、一日じゅう気になっていた。「やめられない」っていうのはやっぱり昼間に黒木が言ってたように、お金の問題があるんだろうかとおれは思った。
 心配だった。ちゃんと話をしたいけど、実はあいつ携帯電話を持っていない。家にもないから話をするには直接行くしか手段はない。でも、そうやってじかに会うことを考えるとやっぱりためらわれた。昨夜のこともあるし、本当は会うのが怖い気もしていた。

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「よっちゃん?」
 おれの手が、その白い足のつけ根に触れたと同時に視界が開けた。
 よっちゃんの、これまで見たこともなかった表情がそこにあった。眉をひそめ眼をつぶり、額に汗をかいている。頬が紅潮し小さく開けた唇からは白い歯がわずかにのぞいて、そして絶えず声があがり続けていた。不思議な光がどこからか当たっていて、それの作り出す陰影が、よっちゃんをいっそう凄絶な妖しさへと導いていた。
「よっちゃん、やめてくれ!」
 思わず叫んだおれに、よっちゃんは返事もせず腰を動かし続けた。おれは止めようと腕に力をこめたけど力はまるで入らず、反対におれの下半身の抵抗が効かなくなった。
 波のように何度も押し上がってくる快楽にいつしか、おれはよっちゃんと一緒に必死になって動いていた。大きな快感がうねって押しよせ、いきなり眼の前が白くなると、おれは頭から足の先まで、じんとしびれるような感覚に襲われた。
「ああぁあ……っ」
 まるで絞りだしたような自分の悲鳴で、目がさめた。

 枕もとの時計は深夜の三時をさしている。冬のしんとした寒さの中、おれは全身にじっとりと汗をかいていた。おれは「あぁ……」とため息をついた。下腹部に違和感があった。下着に手を入れて確かめるとやっぱりだ。やっちゃった。
 おれは寝間着を脱ぎ捨てユニットバスに向かった。
 照明をつけ、トランクス一枚になって空のバスタブに入った。シャワーのコックを回し、冷たいままの水を下半身にかける。たちまち全身に鳥肌が立った。水で流しながらトランクスを脱いでそのまま足で踏みつける。身体は冷めて震えがきた。歯の根もあわずガチガチと大きく鳴った。おれはつい「くそっ」と、つぶやいた。

 夢で見たよっちゃんがまだ眼の前にちらついていた。まるで陶酔しきったような艶めかしい表情だった。自分が知らないところで、よっちゃんはあんな顔をしてるんだろうかと思った。石橋さんの上にあんなふうに乗って、ああいう感じに声をあげたりするんだろうかとも思った。
 そんなモヤモヤとした考えが頭をよぎったとたん、急激に自分の身体が反応するのを感じた。冷たいシャワーは何の役にも立たなかった。おれは信じられない思いで、猛り立った自分の下半身を眺めた。
「ああ、くそっ」
 もうどうにもこうにも耐えられなかった。ようやく温水になりはじめたシャワーを止め、おれは背中を丸めて狭いバスタブの中に座りこんだ。
「よっちゃん、ごめん」
 そうつぶやいて、おれは自分のそれに手をかけ、激しくしごき始めた。
 おれは、そっちの方とかじゃ決してない。ないと思う。確かに女の子とつき合った経験はないけど、それは単に高校が男子校だったせいだ。もちろんいまの学友たちにも、ましてや黒木なんかにもそんな感情はまるでわかない。おれはあくまでもノーマルのつもりだ。
 だけどいま、おれが夢中で自慰をしながら頭の中に思い浮かべているのは、よっちゃんの淫らな姿だった。

 おれは想像の中でよっちゃんにいろんなことをした。経験のないおれだったけど、それでも思いつける限りのさまざまな媚態をとらせた。細い身体を仰向けにしてのしかかったり、逆に後ろから覆いかぶさったり、横にして背中から抱きしめたり、起き上がって自分の上に座らせたりした。かがませて、おれ自身を口に含ませながら、おれはよっちゃんの柔らかい髪の毛を両手でまさぐった。そうしながら唱えるように名前を呼び続けた。
「ああ、よっちゃん、……よっちゃん、よっちゃん、よっちゃん」
 名前を呼ぶたびにおれの鼓動は昂まった。身体もかっと熱くなり、どんどん絶頂に近づいていった。そしてついに自分の欲望をバスタブに激しくほとばしらせた。

 はっと我に返った。
 白けた照明が、宇宙船のカプセルじみたユニットバスの狭い空間をすみずみまで照らしていた。シャワーからは水がしたたり落ちている。脱ぎ捨てられた下着はバスタブの底でぐしゃぐしゃになっていた。
 何てことをしたんだって思った。
 自分の荒い息と鼓動がしずまっていくのを感じながら、同時におれは自分のまわりの温度までも急速に失われていくような、そんな感覚をおぼえた。

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