小説 「見上げた空は」

「見上げた空は」アンケート

NOTICE!
同じ内容で、読みやすいように順番を並べ替えたものが
上のウェブページに、ございますので
よろしければ、そちらをご覧くださいませ。

T034

おかげさまで、やっとエンディングを迎えた「見上げた空は」。
長いことおつきあいいただき、ありがとうございました。

せっかくなので、感想アンケートなど募集したいと思います。
今後の参考にもしたいので
差し支えなければ皆さま、お応えくださいませ。

 * * *

【1】 お気に入りのキャラは誰?
A 大山くん B よっちゃん C 石橋さん D その他(    )

【2】 お気に入りのシーンは?
(                 )

【3】 これから、どんなものを読みたい?
A 大山くんとよっちゃんのシリーズ
B 大山くんとよっちゃん以外のキャラが登場するBL小説
C BL以外のジャンルの小説(    )
D 小説以外の創作作品(    )
E 映画の感想など、創作以外のもの
F プロフィールをちゃんと仕上げてくれ

【4】 そのほか感想、質問、意見などあればどうぞ。
(                 )

メールのあて先は、こちら→「tomtit」へのメール
※回答には、お手数ですが上の文章をコピペしてお使いください。

 * * *

ひと段落したから……というわけでもないのでしょうが
どういうわけかこの黄金週間、ホラー映画にハマってます。
「輪廻」と「サイレントヒル」と「サスペリア」を見ました。

ただ、GyaOで無料配信されてた「マングラー」ってスティーブン・キング作品は
超ビビってしまって、10分で止めてしまいました……(ダッテ怖カッタンダモン)。

じつはホラーには、あまり詳しくないのです。
なので、これはオススメ!という作品があったら
そういうのも、教えてくださいませ。

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見上げた空は 最終話

T034

 * * * 《 最終話 》

「こんな脚本で本当にいけるって、本当に思ってんのか。大山ぁ」
 黒木が眉をひそめて文句をたれた。
「サンタクロースが、本当は宇宙人で世界じゅうを救ってまわる、という発想はなかなかユニークだと思うよ。そのサンタクロース役が水村っていうのも斬新なアイデアだ。だけど、とにかく展開がムチャクチャじゃないか。おまけにラストには、いきなりミュージカルに……ああ、もう頭が痛い」
 おれの狭い1Kの部屋に、昼間っから男三人が膝をつき合わせている。実はいま、われら映画研究部がうちでミーティングのまっ最中なのだ。
「それに大山、いきなり八ミリフィルムを使いたいって、どういうつもりだよ」
「だってだって、せっかくならノスタルジックな雰囲気に作りたいじゃん?」
「大山ぁ。今どきフィルムなんてどの映画サークルでも使ってないって。それに八ミリキャメラとフィルムなんて、初心者が扱えるわけないだろう。お前ごときにはこの家庭用ビデオで充分だ」
「えー。家庭用はイヤだよ~。ビデオならせめてプロ用のを使いたいよお~」
 黒木持参の、新春セールで購入したという真新しいビデオカメラと、おれが先日書き上げた自慢の脚本を前に、そんなミーティングにもならない低レベルなやりとりをしていると、よっちゃんがフライパンを片手に割りこんできた。髪をバッサリ切ってイメージチェンジしたのはいいけど、後頭部には相変わらず寝ぐせがついたままだ。

「あのね。ぼくのおじさんがね、記録映画を作る会社をやってるから、機材を借りるのなら、頼んでみたらどうかなあ」
 黒木が、へえ! と新鮮そうな表情をした。あれ、そういえばこいつって、石橋さんとは顔見知りじゃなかったんだっけ。
「いいじゃん大山。どうしてもっていうならそれにしたら? 水村、もちろん機材は安くで貸してもらえるんだろ?」
「うん、たぶん」
 こっくりとうなずくよっちゃんに、おれは慌てて言った。
「割引はしてもらわなくていいよ」
 黒木が口を出す。
「大山、自主製作なんだから、ムダな出費はなるべく減らして少しでも安く上げろってOBたちも言ってたろ。コネがあるんならそれをうまく使えよ」
 おれは「いや、いい」と、かぶりを振った。
「ほかにもいろいろ探してみて、安かったら石橋さんとこで借りる。でも特別に割引は必要ない。おれ、ちゃんと正規の値段で借りる。いいだろ? よっちゃん」
 よっちゃんはしばらく考えたあと、「ウン、いいよ」とニッコリ笑った。

T001

 不満そうに黒木が顔をしかめ、盛大に盛られた目の前のフレンチトーストを見て、さらに顔をしかめる。よっちゃんがたったいまテーブルに乗せたものだ。
 あのあと、よっちゃんに薦められて『クレイマー・クレイマー』を観た。映画の中で父と子が作るフレンチトーストは、食パンと卵に牛乳があればできるごく単純な料理で、いったいどんなに立派なんだろう、と想像してたおれは、少し拍子抜けした。
 だけど実際に、カルカヤに行って食べてみたところ、なるほど石橋さんの薦めたとおりその味は絶品だった。
「単純なものほど、奥は深いのよ」
 ママはそう言って、けらけらと笑った。

 というわけでおれたちはいま、よっちゃんのフレンチトースト修行にもつき合っているわけだ。
 ものごとは何ひとつ解決していない。というか、かえって複雑になったような気もしないでもない。だけどきっと何とかなるよね。おれ考えなさすぎるかな。でも、それがおれなんだから仕方ないな。
「重くたって二人で持つと楽ちんだよ」
 クリスマスイブのあの日、よっちゃんはそう言った。そのとおりだ。ひとりではつらくても二人なら何とかなる。だからこれからも、逃げないでひとつひとつ前に進んでいこう。

「あっ。あれ、何だろう?」
 よっちゃんが、窓の外を指さして言った。
「なになに」
 おれと黒木が争うように窓のところに走る。ベランダ越しの遠い空に、楕円形の光る物体が小さく浮いていた。
「うわあっ! UFOだ、UFO!」
「黒木、カメラ、カメラ回せ、カメラ!」
「すげー。ねえ、なんかアンテナみたいなのが出てきたよぉ」
 黒木とおれとよっちゃんの三人は、狭い窓のところで押しくらまんじゅうになって空を見た。光る小さな物体はしばらく空中に止まったあと、まるでこちらに信号を送るようにジグザグに空を横切ると、ものすごい加速で上空にパッと消えた。
「撮った撮った、バッチリ撮った! これ、どこかのテレビ局に送ってみようぜ、採用されるかもしれないぞ!」
 黒木がいつになく興奮した口調なのがおかしくておれは笑った。よっちゃんもけらけら笑った。

 四角い窓から見上げた空は、とても青くて透きとおっていた。

 もしかしたらあいつ、おれを見にきたのかな。ひょっとしておれがよっちゃんとあんなことになって心配したかな。それならどうぞご心配なく。おれたちこうやって、普通に仲良しを続けてるし。
「そうだ! 二作目にはこういうのどうだろう。ドキュメンタリータッチの作品でさ、『実録、黒木カオル未確認飛行物体を追う!』」
「うわー大山くん。それいい、ぼく賛成!」
 よっちゃんとおれは調子に乗って、いろいろとアイデアを喋り始めた。
「何をバカな話してんだ。ああもう、お前らといると本当に先が思いやられるよ。いいか大山、映画を作るんならまず脚本だ。このままだったらおれは認めないぞ。絶対!」
 黒木は不機嫌そうに口をとがらせたあと、目の前のフレンチトーストをパクつきだす。

 おれとよっちゃんは笑い転げた。その拍子によっちゃんの指先が、テーブルの下でおれの手に触れる。それで二人また顔を見合わせ、次はお腹を抱えて笑った。

                                     (おわり)

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見上げた空は 22

T033

 * * *  ≪ 22 ≫

  よっちゃんは、おれの言葉を聞くとしばらく絶句した。そしてぷーっと吹きだした。
「大丈夫」笑いながら言った。「ぼくが、何とかするから」
 散らかった部屋の真ん中あたりを無理やり寄せて広げ、押入れから布団を取りだそうと奮闘した。やたらハイな気分になって、二人ともゲラゲラ笑った。
 襖が、段ボールに引っかかり開かなくて、結局そのすき間から引っぱり出せたのは、古い毛布が一枚だった。
 仕方ないからそれを畳の上にじかに敷いた。その上に座りまたキスをする。
 おれは、よっちゃんのシャツを脱がせた。
 見るとよっちゃんの身体には、背中のほかに、腕やわき腹のあたりにも傷がたくさんあった。おれはその傷あとをひとつひとつ手でなぞった。
「よっちゃん、これって……」
「古いものだから」
 よっちゃんは、そう言って微笑んだ。
 かすかに上下する胸に手を当てる。よっちゃんが、ほうっという息をついた。
「ドキドキしてるね」
「うん、ドキドキしてる」
 ゆっくり手を下の方に持っていく。ジッパーに手をかけた。よっちゃんが腰を浮かせたので、そのまま一気に降ろし下着ごと剥ぎとる。細くて白い身体がすべて露わになった。よっちゃんの、柔らかな体毛に囲まれたその芯の部分もすでに息づいていた。
 おれが何かやたら感動してるあいだに、よっちゃんはおれのアンダーシャツと、中途半端に穿いていたデニムを必死で脱がそうとしてたから、慌てておれも脱いだ。焦ってズボンの片っぽがかかとに引っかかる。もがいているとよっちゃんが笑いながら手伝ってくれた。おれたちはそのままゆっくりと身体を寄せ横たわった。

 息をひそめ、しばらく互いをまさぐりあう。
「よっちゃん、柔らかい」
「大山くん、あったかいよ」
 そんなこと互いに口にしながら、すっげえ幸せな気分に浸ってたら、よっちゃんが急に、身体をするりと滑らせるようにして、おれの前に屈みこんだ。
「え、えっ?」
 戸惑うおれに、よっちゃんはこっちの顔を見上げ、ニッコリ笑った。
 うわあ、よ……よっちゃん、まじ?
 あ、よっちゃん、そ、そんな。そそ、そんな。
 そ……

 想像以上。

 思わず腰が浮き「は、んッ」と、はしたない声が出た。おれの下腹部の欲情を、淫らな温もりが包みこんでいる。よっちゃんの茶色い髪の毛がおれの腹の上にあるのが見える。
 先端からたちまち湧きだす滴を、愛しく舐めとるかのように舌をからめながら、よっちゃんは添えた手を動かした。まるで人の敏感な部分を知りつくしているかのようなよっちゃんの手が、舌が、容赦なくおれを絶頂へと追いこむ。
「ああ、よっちゃん、……よっちゃん、よっちゃん、よっちゃん」
 ああもうダメ、我慢できない。よっちゃんの髪の毛を慌てて必死でつかんだ。顔を起こそうとしたけど間にあわず、おれの放った飛沫は、よっちゃんの口に溢れてしまった。
「ご……ごめんっ。よっちゃんごめんっ」
 慌てふためきながらおれが言うと、よっちゃんはゆっくりと顔を上げた。

 暮れかけた窓からの光が、よっちゃんの顔に影を作っている。よっちゃんは眼を閉じ、口に含んだおれのものを、唇の端から静かに手のひらにこぼす。白い液が指のあいだから滴り、腕に伝わって流れた。
 手を濡らしたまま、よっちゃんは残りの液体を嚥下した。こくり、と白い喉が動く。それを見たとたん、いま果てたばかりのおれの分身は再びいきり立った。
「大山くんの、これを使うね」
 よっちゃんが、濡らした手を自分の後ろに持っていく。
「な、何すんの?」と、おれが聞くと
「あのね、女の人みたいには……濡れないから、こういうのが必要なんだ。これ、使うね」
 そう言って反対の手でおれを引っぱる。おれの手は、よっちゃんの濡れた手とからみ合った。そのまま導かれるように、よっちゃんのまだ固い蕾へ。
「わかる? ここを、柔らかくして」
「あ、うん」
 心地よい感触だった。よっちゃんの秘められた箇所が、いま自分の放った液体にまみれて濡れている。そう思うと、おれの身体もますます熱さを増した。
 からめたよっちゃんの指が、おれの中指をぎゅっとそこへ押しこんだ。一瞬、驚いたけど、すぐにおれをリードしてくれてるんだと気づいた。おれのために半ば強引に進んでくれるよっちゃんが頼もしい半面、これまでよっちゃんがどんな体験をしてきたか、それがかいま見えるような気がして少し切なかった。

 そろそろと奥までいってみる。きゅっと固く狭い部分を過ぎるとすぐに、とても柔らかな、からみつくような感触。よっちゃんの深い部分の体温が、指先に直接伝わってくる。
 奥をそっと探ってみた。
「あ、ン」
 よっちゃんが、甘く声をもらす。
「おー」と思いそのまま、ゆっくりと大きめに動かしてみた。よっちゃんの前の方のがぴくんとはねた。また動かすと、再びかわいくぴくんとはねた。また動かすとはねた。もう一回動かすとまたはねた。
「大山くん、面白がってるでしょ」
 よっちゃんが、ついにおれの頭をぺしゃりと叩いた。……前々から思ってたけど、よっちゃんっておれには、なんかやたら乱暴なんだよなあ。
「ここ、気持ちいいの?」
 指を動かしながらおれが聞くとよっちゃんは、うん、うん、とくり返しうなずいた。
 やがて、いまかわいくぴくんとはねていた先から、透明な蜜の滴がみるみるうちに溢れてくる。よっちゃんの呼吸もしだいに、乱れた感じに変わってきた。
 さっき、よっちゃん「女の人みたいには」なんて表現していたけど、おれがやたら触りまくっているうちに、よっちゃんのその部分は何だか熱を帯び、潤いも増してきたような気がおれはした。まるで花の蕾がほころぶように、柔らかく膨らみ始めている。すでに下っ腹でおれの分身もはちきれそうだった。
「よっちゃん、入ってもいい?」

 仰向けのよっちゃんの中心に、ゆっくりとおれのをあてがった。下半身をうずめるように進もうとすると、よっちゃんは少しつらそうに眉をゆがめた。
「つ……」
「だ、大丈夫?」
 慌てて身を引こうとしたら
「大丈夫、そのまま」
 よっちゃんが、小さく言っておれに両手を差しのべてきた。
 おれは、覆いかぶさるようにしてよっちゃんの身体を強く抱きしめる。よっちゃんはおれの背中に腕をからめながら、何度も深く息を吸ったり吐いたりした。
「……いいよ、大山くん」
「あ……う、うん」
 おれはよっちゃんの呼吸に合わせて、再び慎重に身を沈めていった。正直しんどかった。かすかに痛みさえある。もしかしておれ、よっちゃんを傷つけてるんじゃないか? そう思って内心はらはらした。
 何とかおれがすべて入ってしまうと、よっちゃんは安堵したように、おれにからめた腕の力を抜いた。おれは上半身を起こしてよっちゃんの顔を見た。
「ごめんね、おれ馴れてなくて……」
 おれが泣きそうになって言うと、よっちゃんは優しく笑った。何か喋ろうとしているけど聞きとれない。
「ん?」と耳を近づけた。
「……これより、うんとつらかったのって、何度も……経験あるから」
 よっちゃんが、かすかな息の下でそう言ったのに、たまらなくなって涙が流れた。おれが焦って離れようとすると、よっちゃんは「離れないで。聞いて」と再び背中にまわした腕に力をこめた。
「あのね、ぼく……ずっと前、誰かれかまわず、こういうことやってた」
「よっちゃん」
「いつも、何かが空っぽだった。だから誰かが入ってくれると、そのすき間が埋まるような気がしたんだ。自分の内部で繋がってると感じるだけですごく安心した。だから、誰とでもやった。自分がおかしいってよくわかってた。でも、やめられなかった」
 よっちゃんは、ささやくように続けた。
「だって、そんな安心した気持ちはいつも、あっけなく消えてなくなっちゃう」
「よっちゃん」
「あのね。おじさんは好き、だけど」
「……ん」
「ぼくひとりのものじゃないから、やっぱりすぐ、消えてなくなる」
 こんなことさせちゃってごめん、って、よっちゃんは小さく言った。ぼくなんかのわがままで、こんなことさせちゃってごめん、って。
 そんなことないよ。よっちゃんが謝ることない。よっちゃんが謝ること全然ない。おれはよっちゃんのためなら何でもできるんだから。おれはよっちゃんがうんと喜んでくれて、ほっと安心してくれたら、それが、おれの何よりの幸せなんだから。

 おれはふたたびよっちゃんをぎゅっと抱いて、強く口づけをした。
 大山くん、ぼく絶対、忘れないからね。
 長いキスが終わるとよっちゃんは、歌うようにそう言った。
 おれは、おれとよっちゃんが繋がっているのを確かめるためにゆっくりと下がった。よっちゃんも自分で触って確かめると、ふふ、と満足したように笑った。
 おれはまたゆっくりとよっちゃんの中に身を沈めた。よっちゃんは最初より楽なようだったから安心した。おれは慎重に何度もそれをくり返した。
 よっちゃんはずっとうわ言のように「忘れないから」と、つぶやき続けた。

 外では日も暮れて、雪が本格的に降りはじめたようだった。いつのまにか部屋の中も暗くなっていた。うにたんがケージで目をさました気配がする。しばらくゴソゴソと動いたあと、おもむろに回し車に乗って走り始めた。リンリンリンと小気味よく鈴の音が鳴る。まるで小さなトナカイの引くソリみたいだ。
 やがてよっちゃんは、うっとりと陶酔の表情に変わってきた。すすり泣くような声を出し、ひと呼吸ごとに大きくその細い身体をのけぞらせた。おれもどんどん昂まってきていた。身体じゅうがかっと燃えるように熱くて、冬だというのにびっしょりと汗が出た。よっちゃんとおれは互いをむさぼるように激しく動いて昇りつめ、そして一緒に悦びを放った。
 おれは、よっちゃんをおれで満たした。

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見上げた空は 21

T032

 * * *  ≪ 21 ≫

 おれが、特急列車の中で走りだしたい衝動と闘っているあいだに、空はどんよりと厚い雲に変わった。小雪もちらつき始めていた。
 荷物を肩にかけたまま駅からひたすら走って、やっと学校にたどり着いた。冬休みのキャンパスだからあまりひと気もない。はあはあと荒く息を吐きながらふと見ると、中庭の向こうから黒ずくめの男が近づいてくる。グッドタイミング、黒木だ!
「おおい! 黒木、黒木!」
 おれはその場でやつをつかまえ、新年の挨拶もそこそこに、自分のプランを黒木に対してまくし立てた。
 黒木は「わかった、わかったよ大山。でもさ」と、黒縁メガネの真ん中を指でくいっと押し上げる。
「水村って、学校やめるんじゃないのか?」
「……へっ?」
 おれは、きょとんとした。
「ついさっき部室へ来て、そんなふうなこと、おれには言ったぞ。大山、聞いてないのか?」
「聞いてないよ! そんで……そんで黒木おまえ、何て応えたんだよ」
「そうかって」
 思わず「それだけかよ!」と叫んだ。
「友だちなら、そんなの止めるべきだろ?」
「だって他人の事情じゃないか。そんなに深くは聞けないよ」
「でも、事情わかんなくたって、力になりたいって思うだろう。何かできないかって思わないのかよ?」
 黒木が、もどかしそうに髪をかき上げた。
「だから大山、お前に聞いたんだろうが。本人に聞けないから。まさか、お前が知らないなんて……」
 おれは踵を返した。後ろから黒木の声が聞こえたけど無視した。おれは大学じゅうを走りまわってよっちゃんを探した。生協に学食、図書館、いろんなとこに行ってみたけど当然まだ休みで、もちろんよっちゃんの姿もない。家かもしれないと考えてまた走った。

 アパートの、共同になった玄関で靴を脱ぎ捨て、建てつけの悪い階段をどすどす上がって、端にあるよっちゃんの部屋のドアを叩いた。
「よっちゃん、よっちゃん!」
 ドアノブを回すとカギがかかっていない。開けようとドアを引いたとたん、よっちゃんが反対側のノブにしがみついたまま、廊下にぽろりと転がり出てきた。
「ダメーッ」そんでもって、慌ててまたドアを引き戻そうとするから、おれも必死に引っぱった。
「よっちゃん、よっちゃんてば!」
 騒ぎを聞きつけたのか、隣のドアから留学生の李さんが「ヨッチャン、ドーシマシタカ」と顔を出した。
「ううん、何でも……」
 よっちゃんがそう言って気を取られたすきに、おれはドアを力ずくで引っぱり、無理やり室内に入りこんだ。
 おれは、はあはあと息をしながら、八畳ひと間に流しのついた小さな部屋を見まわす。室内は雑然としていた。

 よっちゃんがいつも勉強机がわりにしているデコラ板の小さなテーブルは、年季の入った収納ボックスに立てかけられ、ボックスに入っていた教科書や参考書が、ひもをかけてその横に積まれてあった。本の上にはハムスターのケージが乗っている。うにたんは巣箱の中で寝ているようだった。そしておれのすぐ目の前には、ミカンだの何だのと印刷された段ボール箱が積まれ、衣類などが無造作に入れられていた。
「……よっちゃん、どしたのこれ」
「引っ越し」
 ドアのところに力なく立って、よっちゃんはうつむいたまま言った。
「引っ越しって、どういうことだよ!」つい声がでかくなる。「それに学校やめるって、いったいどういうことなんだよ!」
 よっちゃんは、消え入りそうな声で応えた。
「県外にね、住みこみで工場なんかたくさんあるから。だから、そういうところに行こうかって、考えて……」
 段ボールの横に、無料の求人雑誌がいくつか重ねてあるのが見える。
「だって勉強はどうすんだよ。よっちゃんいまの学校、勉強したくて入ったんだろ?」
 無遅刻無欠席なんてこと、そうそうできるもんじゃない。よっちゃんの勉強熱心さは、みんながよくわかってる。

「……でも、本当なら、そういうはずだったんだ」
 よっちゃんは部屋の中まで戻り、ゆっくりと荷造りの続きを始めた。
「上の学校なんて到底、来れるはずなかった。本当ならぼくはひとりで社会に出て、ひとりで何とかして食べてかなきゃならない人間だった。だから」
 いまからそれに戻るだけだよ。学校もやめて。おじさんとのこともやめて。
 つぶやくように、よっちゃんは言った。
「石橋さんには?」
 おれが聞くと、首を横に振る。
「何で言わないんだよ。大事なことだろ?」
「だって……おじさんに悪い」
「どっちが悪いんだよ!」
 思わず声を荒げた。よっちゃんがびくっと震える。おれはかまわず続けた。
「あんなによっちゃんのこと心配して、深く愛してくれてる人なんて、他にいないじゃん。その人に理由も言わないで、黙って遠くに行っちゃうなんてそりゃないだろ。ちゃんと学校通ってちゃんと卒業して、あの人の気持ちに応えなきゃなんないのに!」
 あれ。……おれいつのまにか石橋さんのカタ持ってるし。
「それに……それによっちゃん。おれたちこれから、まじに映画を作るんだぜ?」
 その言葉に、よっちゃんの黒い瞳が大きく見開いた。
「……えい、が」
「そうだよ! 作るんだよこれからまじで。映画研究部で。もうストーリーの原案も練ったから脚本はすぐにできる。よっちゃんが、主演やるんだよ!」
 おれは、もう必死だった。
「あれをベースにした話にするんだよ、よっちゃん。以前おれこの部屋で言ったろ。おれ宇宙人に会ったことあるんだって」
 そうだ、あの春の夜だ。この部屋で初めておれは、他人に自分の秘密を話した。
「おれ、宇宙人に会ったことあるんだぜ」
 ……って。

 * * *

「よっちゃん。おれ、宇宙人に会ったことあるんだぜ」
「すんげー、いつ?」
「六歳んとき。近所に小さい水源地があって、休みの朝に探検に行ったんだ。おれしか知らない秘密の入り口があってさ。中に入って遊んでたら、遠くからなんか光る皿みたいのがヒューンって飛んできて」
「大山くんの、近くまで、来たの?」
「うん、すっげえ近くまで来た。じっと見てたら、アンテナみたいなのがピューッて出て」
「ピュー」
「んで、そのUFOの真ん中から、今度は光がサーッっておれに降りてきて」
「サーッ」
「で、おれ持ち上げられちゃったんだ。UFOの中には宇宙人がいて、そいつらがおれに話しかけてたのは憶えてる」
「うわー」
「うちではおれがいなくなったってみんな探してて、その日の夕方に、反対側の岸の林でおれが倒れてたのを、兄ちゃんが見つけたんだって」
「よかったねえ、大山くん」

「うん。……でね、二回目もあるんだ」
「ええっ、二回目?」
「中二の時に、サッカーゴールが倒れてきてケガしたって、おれ前に言ったじゃん」
「ウンウン、聞いた」
「そん時だよ。本当は脳みそんとこにすっごい血の塊ができて、それが手術もできないところで。おれ、もう絶対死ぬって、医者から宣告されたんだって」
「ええーっ?」
「だけど、眠ってたおれの夢の中に、その時の宇宙人があらわれて言ったんだ。『オマエハ追跡対象ダカラ、死シナセルワケニイカナイ』って」
「ツイセキタイショーって、何?」
「ほら、渡り鳥とかクジラとかに発信機をつけて放して、行方を調査するやつがあるじゃん。あれかなって思ってるんだけど」
「あっ、きっとそれだね」
「そいつが手をかざして、おれの頭の中にあったものすごい血の塊をピューッて取ってっちゃったんだ」
「よかったねえ、大山くん」

「でねその時、こんな事故がまたあっちゃ困るからって宇宙人がおれに言ったんだ。『コノぱわーヲ、オマエニモ使エルヨウニ、シテオイテヤロウ』って」
「えっ、パワーを?」
「うん。だからさ、おれのこの手には、その時に宇宙人から授かった癒しのパワーがあるんだ。おれがこうして手を当てて気持ちを集中させると、ケガをした傷はたちどころに治るし、痛みだってすぐに消えてしまう」
「……うん」
「だからうにたんもさ、あした病院に連れていくまで、おれが一晩じゅうこうやって、ずっと両手で包んでいてやるから。よっちゃんは心配しないで。こんな足のケガなんか、おれの力があればすぐに治っちゃうよ」
「うん」
「安心していいから、ね。よっちゃん」
「うん」

「…………」
「…………」
「…………」
「……ね、大山くん」
「……ん?」
「うにたん、だいぶおとなしくなってるね」
「……うん」
「きっと、痛みが消えたんだよね」
「うん」
「みんな、大山くんのおかげだよね」
「…………ん」
「ありがとう、ありがとう大山くん。ありがとう」

 * * *

 あのサッカーゴール事故のあと昏睡状態からさめて、おれはすぐ父ちゃんや母ちゃんや兄ちゃんや姉ちゃんに「パワーを宇宙人から授かった」って話した。でも、夢を見たんだろうって笑われた。
 新学期になってから、友だちにも話してみた。なら試してみろよって言われて試してみたけど、なぜかその時はうまくいかなかった。次にやってもうまくいかなかった。何回やってみても、うまくいかなかった。
 おれはうそつき呼ばわりされた。クラスのみんなが口をきいてくれなくなった。おれの靴や教科書は汚され捨てられた。
 父ちゃんからは、お前が考えなしにバカなことを言うからだって叱られた。なんだかひどい耳鳴りが続いた。おれは自分の部屋から出られなくなった。兄ちゃんや姉ちゃんも、おれには妙にぎこちない態度をとった。一日のほとんどをひとりで過ごした。ひとりで空想の世界に逃げて過ごした。長い時間そうして暮らした。おれはカウンセラーって人のとこに連れていかれた。母ちゃんが泣いた。
 おれは、もうそのことを人に言うのをきっぱりやめた。いつのまにか耳鳴りも治まった。そして、あれはほんとに夢だったんだと思うことにして、まるで何にもなかったように、なかったつもりで数年間を普通に過ごした。
 そうやっておれは、おれの秘密をずっと心の中に封印して生きてくんだなって。そんなふうにずっと思ってた。

 だけど、その封印を解いたのがよっちゃんだった。よっちゃんだけがおれの話をちゃんと聞いてくれた。よっちゃんだけがすごいって言ってくれた。よっちゃんだけがおれの力を信じてくれた。
 よっちゃんが、おれの心を開いてくれた。

 * * *

「その宇宙人ってのがさ、実はサンタクロースの正体で、世界じゅうの人に、いろんなものを信じることの大切さを伝えていくって話なんだ。そんなサンタクロースにぴったりな配役がよっちゃんなんだから、監督のおれさまとしては、いまよっちゃんに学校やめられちゃ困るんだよ!」
 実はそんな原案なんて全然なかった。ほとんど考えなしの口から出まかせだった。けどとにかく、おれは必死だった。
 離れるのはイヤだよ。ただの友だちでいいからよっちゃんと一緒にいたいよ。本当はそう言いたかった。そう言って泣いてすがりつきたかった。そうだよ、「大切な子に」なんて思ってたあの話って、おれ、とっくの昔によっちゃんに打ちあけちゃってたんだ。

T008

「でも……おじさんに悪い」
 よっちゃんがまた首を振る。ああ、もう堂々めぐりだ。
「だから、さっきも言ったろう。黙って遠くに行くのと、どっちが悪いんだよって!」
 おれはよっちゃんにつめ寄った。
「そもそもやめたい理由って何なんだよ。石橋さんの……家族のこと?」
 よっちゃんは、かぶりを振った。
「映画館の前で会った……あいつら?」
 またかぶりを振った。
「いったい、何なんだよ。応えろよ」
 よっちゃんはおれの腕をすり抜け、がっくり崩れ落ちるようにその場に座りこんだ。
「……大山くん」
 つぶやくみたいに、よっちゃんが言う。
「え、何?」思わず聞きかえした。
 よっちゃんは、消え入るような声で
「だから、……理由」
「へっ?」
 お、おれ?
 思わずしゃがんで、よっちゃんの顔を覗きこんだ。おれの身体を押しやるようにしたよっちゃんの顔は、ゆがんでいまにも泣きそうだった。
「大山くんは」大きく鼻をすすり上げる。「イブの夜、何もなかったことにできる?」
 おれの声が、思わず掠れた。
「よっちゃん。もしかして……あの夜のこと、憶えてるの? 忘れてないの?」
 よっちゃんは、小さくうなずいた。
「必死で、忘れたふりをしてただけ」
 泣きそうな顔でかすかに笑う。
「これまでのぼくだったら、忘れるなんて簡単にできたからね。イヤなこととかつらいこととか痛いこととか、全部リセットしちゃって。それでこれまでうまくやってこれたから。だから、あの夜のことも忘れてしまおうと思った。……だけど」
 おれの心臓が鳴った。
「あの時、大山くんの部屋で大山くん言ってくれたよね。それにぼくが応えたよね。あれが、ずっと記憶から消えない」

「おれが何とかするから」

「大山くん、ぼくとセックスする?」

「おれは、おれはそういうつもりで言ったんじゃ……」

「そういうつもりじゃないの? 何とかって」

 よっちゃんは「あれさえ消えてくれれば、ぼくはよかったんだ」と、小さくつぶやいた。おれだってもう口から心臓が飛び出そうだった。しどろもどろで言った。
「でも、でもあれはおれが悪いんだよ、おれがはずみで言っちゃったから、よっちゃんはそれにつられただけで、はずみなんだから。だから……」
「ぼくは、本気で言ったよ」
「へっ?」思わず、耳を疑う。
「はずみだけど、本気だった」
 よっちゃんは顔を上げ、黒く濡れた瞳でおれを見た。
「ずっと前から思ってた。でもさ、やっぱりさ、友だちにこんなこと感じるなんて、ぼくおかしいよね。普通の人ならおかしいって思うよね。だから、それだけは絶対に気づかれないようにって気をつけてたのに、あの夜、大山くんがあんなふうに言ってくれたから、つい……」
 よっちゃんの眼から、ぽろぽろと涙がこぼれだした。
「もう、気持ちが止められない。このまま大山くんと一緒にいると、自分がどうにかなっちゃいそうなんだよ。だってぼくにはおじさんが、いるのに……」
 思わずおれは、よっちゃんの肩を両手でつかんだ。
「だから、おじさんに悪いって?」
 うん、とよっちゃんはうなずいた。
「このままだと、ウソをつき続けなくちゃなんない。大山くんにも、おじさんにも。自分にも」
「だから、学校をやめるって。ひとりで遠くに行くって?」
 よっちゃんはまた、うん、とうなずいた。そしてつぶやくように喋り続けた。
「忘れてしまいたい。全部、忘れてしまいたいんだ。遠く離れてしまえば、なかったことにできるから。時間が経てば忘れてしまえるから。声も顔も見なきゃ、忘れてしまえるから。全部、記憶の中から捨ててしま……」
 おれは強くよっちゃんの肩を引きよせ、その唇をおれのでっかい口でふさいだ。
 息の続くかぎり、そうしていた。

 力を抜いて唇を離すと、よっちゃんが戸惑ったようにおれを見た。
「……大山く……?」
 おれは立ち上がり肩にかけていたカバンをどすんと下ろした。マフラーをとり上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンをはずながら言った。
「おれいまから、よっちゃんとやるから」
「え?」
 よっちゃんは、きょとんとした。
「おれと、セックスしよう」
 靴下を脱いでぽいと放った。ズボンのベルトに手をかける。よっちゃんが、また不思議そうにおれの名を呼んだ。
「……大山くん?」
「忘れさせるもんかよ!」
 おれは、中途半端に脱ぎ散らかしたおかしな格好で叫んだ。
「よっちゃんバカだよ。そんな下らないことで人生を棒に振るなんて何考えてんだよ。四年間がんばったことをムダにするわけ? おれひとりのためにムダにするわけ? おれそんなのイヤだよ。せっかくみんなの力を借りてここまで来れたんじゃん。ちゃんと自分の力で来たんじゃん。ひどい目に会っても生きてきたんじゃん。そりゃ生きてりゃつらい目には会う、そんな時には誰でも逃げたいって思うよ。けどそこで逃げちゃダメなんだよ。いくらごまかしたって自分でわかるだろ、どこにも逃げられないってことは」
「でも、ぼくは強くない」
 よっちゃんは、首を横に振った。
「強くなくない!」
 おれも首を横に振った。
「人は、自分で思ってるより弱くない。よっちゃんはちゃんと強くなってるはずだよ。自分の力で現実と向き合えるはずなんだ。それなのにそれにも気づかずに、いまよっちゃんは現実から逃げようとしてる」
 おれだってさっきまで同じだった。自分の気持ちをごまかして無理やり納得させて、それでものごとを安易にすまそうとしてた。おれは、おれ自身にも言いきかせているつもりだった。座って、よっちゃんの肩を両手で強く抱いた。よっちゃんはおれを見た。よっちゃんの黒い瞳におれが映る。

「だから、忘れさせない」
「……でも」
「一回きりだ。確かめるためだ」
 ギリギリの選択だった。
「そう、石橋さんには悪いけど。ただ自分たちがちゃんと前を向いていけるように、逃げださないためにやるんだ。だから心配することはない。それに、よっちゃんひとりじゃない。大丈夫だよ、おれがいるから」
 ああおれ、我ながらいいこと言うよなあ。
 ……こんなにズボンの前を突っぱらかせて言うセリフじゃないけど。

 よっちゃんは、しばらく黙ったあと
「わかった」
 そう、応えた。応えてニッコリ笑った。
 おれたちは、また長いキスをした。
 あれだけの口上をえらそうに述べておきながら、おれ実をいうと心配があった。どうしようか迷ったすえ、「あのさ、よっちゃん」と切り出した。
「ん?」よっちゃんが優しく首をかしげる。
 おれは、思いきって言った。
「おれさ……やりかたが、よくわからない」

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見上げた空は 20

T030

 * * *  ≪ 20 ≫

 年末年始を、特急とローカル線を乗りついで三時間ほどのところにある実家に帰って過ごした。
 結婚してる兄ちゃんが家族を連れて帰ってきて、その甥っ子姪っ子の相手をしたほかは、まさに食って寝てテレビ見て食って寝てテレビ見ての生活だった。
 朝からゴロゴロしてたら、姉ちゃんから「このトド野郎」と悪態をつかれた。
「せっかく共学の大学に入ったんだから、かわいい彼女ぐらい連れてくるかなって思ってたのにこのありさまだもん。それともひょっとして賢太、彼女できたけどフラれたとか? 失恋しちゃったとか?」
 姉ちゃんに思いきり座布団を投げつけて、そんでまたゴロゴロしながら思った。
 そっか失恋か、失恋、そうかもな。
 あのあと結局、診療代を払うことにはならなかった。石橋さんが病院に強く言っていたらしい。これで心情的にはおれの完全な敗北宣言。同性の同級生に恋して、ライバルの中年親父に惨敗。大山賢太、サイテーの初恋だ。笑っちゃうよ、まったく。
 そうだ、ついでに思い出の場所に行って、失恋の感傷に浸ってみるのもいいな。

 さっそく自転車を引っぱり出した。出かけたのは近所の小さな人工湖だ。おれが小さい頃から近隣の水源地として使われている。湖の東岸はきれいな道路が通り、車も走るようになっているけれど、まっすぐにおれが向かったのは西岸だった。
 浄水場の手前で自転車を降りて停める。長いコンクリートの橋を渡り、鉄製の階段を下りて広葉樹の林に踏みこんだ。土と落ち葉のふかっとした感触がスニーカーの裏に心地よかった。
 木立の奥から枯れた鳥の声がする。
 対岸の方には新しい住宅地もできて、ずいぶん開発されてしまったようだけど、こちら側はちっとも変わってなかった。水岸に沿ってしばらく歩くと高い金網のフェンスが行く手を遮っている。フェンスには「立入禁止」の看板がかけられていた。
 おれはフェンスに沿うようにして、林の奥の方へまた歩いた。登り勾配の途中に見憶えのある小岩があった。屈みこんでその根元のあたりを探る。
「あった」
 思わず口をついて出た。金網が錆びてほころび、小さな子どもが通り抜けられるぐらいの穴が開いていた。当時おれだけが知ってた秘密の抜け穴だった。子どもの頃おれは、よくここを抜けてこっそり林の中に入り、探検ごっこをして遊んだんだ。
 中学時代にもう一度入ろうとしたけど、その時にはすでに無理だった。以来あきらめてすっかり来なくなっていた。だけど、その入り口だけは昔と同じに残っていた。
 あらためて見ると、その穴は信じられないくらいに小さかった。よく入ったもんだとしみじみ思った。特に人一倍でかい図体になってしまったいまでは、片足を入れるのもやっとのような気がする。その逆といっちゃなんだが、フェンスの上の方がかえって軽々と乗り越えられそうだった。
 でも「入るなと言われた場所に立ち入らない」ぐらいの分別は、ちゃんとついたつもりだ。……ああ、何だかんだいって引きずってるよなあ、おれ。

 フェンス沿いにゆっくりと湖の岸辺へ戻る。身体を丸めてしゃがみ、静かな水面をじっと眺めた。
  いろいろ考えて、映画研究部をやめるのはやっぱりなしにした。そのかわり、おれも何も聞いてないことにして、ただの「部活の友だち」でいることにした。
 よっちゃんにあのイブの記憶がないのなら、かえって好都合だった。何もなかったと調子を合わせて、これまでみたいに下らないバカ話をしたり遊んだりして、そうやって大学の四年間を、うんと楽しく愉快に過ごそうと考えていた。それが一番、よっちゃんのためだと思った。
 雲の流れが早かった。天気予報ではのちに雪となっていたはずだ。厚めの雲のあいだから時おりさっと陽が射した。風が吹くとその光が、なめらかな湖面にきらきらと反射した。たまに対岸を行く車の姿が、遠く木立越しに見える。
 とても静かだった。
 考えたっけ、中学の頃だ。大切な子ができたら一緒にここへ来る。そして言う。「おれの一番好きな場所なんだ」って。でもって、自分の秘密を打ちあけるんだ。
 ああ、甘ったるい話だなあ。自分で考えたことだけど思い出すと身がよじれる。クサい青春映画のワンシーンだ。

 そういえば、そんなふうに想像するのが好きだった。いま思うと子どもじみた妄想にしかすぎなくて、まるで遊びだったけど、ちゃんとそれなりにコンテとか考えて、脚本らしきものも作ったことがある。当然のごとくとん挫したけど。
 ふと気づいて、つぶやいた。
「……映画?」
 おれは慌てて立ち上がり叫んだ。
「そうだ映画。映画だ!」
 何てこったい、忘れるとこだった。足もとの落ち葉をけ散らすように走った。音をたてて階段を駆け上がり橋を渡り、自転車に飛び乗ると全速力で家に戻った。
「おれ、これから帰るから!」
 呆気にとられる母ちゃんたちを尻目に、慌ただしく荷物をカバンに詰めこみ、再びとび出した。列車の連絡がうまくいけば明るいうちに向こうに着く。まっすぐ部室に行って黒木に会おう。あいつの知識は必ず役立つし、そもそもの言い出しっぺはあいつだし。そしておれが何よりも、よっちゃんのためにできる一番のことはこれだったんだし。
 よっちゃんに会ったら、まずこう言おう。
「よっちゃんで、映画を撮りたい」って。

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見上げた空は 19 par.10

T005

 * * *  ≪ 19 ≫

【 parenthesis 10 ~堕ちる天使の情景~ 】

 部屋に戻った。
 ベッドに腰かけたバスローブ姿の好男が、熱いミルクティを飲んでいるあいだに、石橋も濡れた服をバスローブに着替えた。
 携帯の電源を入れてみる。ママからの留守電が何件も入っていたが、内容の確認はせずにまた切った。
 窓辺に立つと、屋外広場が見下ろせた。あのクリスマスツリーの下に好男はいたのだと石橋は思った。ひやりと外の寒さがガラスから伝わってくる。窓の一部は結露のためか水滴で濡れ、曇っている。暗く窓ガラスに写る自分の顔。その肩越しに見えるのはちょこんとベッドに腰かけた好男の姿だ。

 ミルクティを飲み終えたらしい好男は、寝そべるようにしてベッドサイドのスイッチをあちこち興味ぶかげにいじっていた。照明が着いたり消えたり、また和らいだりするのが面白いようすだ。
「やっぱり駄目だ」石橋は、踵を返した。
「よっちゃん、帰ろう」
 好男はきょとんと石橋を見つめた。
 枕を両腕で抱えるようにして向き直り「するんじゃないの?」と言った。
 石橋が「何もしないよ」と応えながら差し出した、好男自身の服を見てまた聞いた。
「なんでしないの?」
「何でもなにも、それはいけないことなんだよ」
「おじさんは、ぼくがきらい?」
 石橋の腕にすがりついてきた。
「そうじゃない。さっきも言ったろう」
「ならしようよ。ねえ、しようよ」
 好男はバスローブがはだけるほど強い力で石橋の身体をゆさぶる。ねえしようよ、しようよ、ねえ。石橋は目をつぶり、それに辛抱強く耐えた。
「よっちゃん」
 ゆっくりと話しかける。
「わかるかい。自分をもっと大切にするんだ。そんなふうに簡単に、自分の身体を人に委ねちゃいけない」
「大切にしてる」好男が口早に言う。「こうしたらみんなぼくを好きって言ってくれる」
「それは、本当に大切にしてるのとは違うんだ」
「だったらなに」
「だから……」
 石橋が応えようとすると、好男はふたたび「おじさんは、ぼくがきらい?」と聞いた。きりのない堂々めぐり。どうしてこんなになるんだ。石橋は深くため息をついた。
「よっちゃん、とにかく今夜は帰ろう。ママの家はまたあらためて行こう。服を着なさい。ちゃんとこれから施設まで送り届けるから」
 好男の顔がこわばった。
「ひとを荷物みたいにいうな!」いきなり石橋の腕から衣類を奪いとりベッドに立ちあがった。
「じぶんで帰ります」
 そう叫んで石橋と反対側に跳びおりる。ドアに向かおうとしたが、バスローブの裾でも踏んだらしくもんどり打って転び、そのまま床にばたりと倒れた。
「よっちゃん」
「来るな!」好男が叫ぶ。駆けより抱き起こそうとした石橋の頬に鋭い痛みが走った。
 頬に手をあてると血が出ていた。いつのまにか好男の手には、さっき石橋がサイドボードに置いた天使の人形が握られている。
「いったいぼくを、何だと思ってんだよ」
 手当たり次第に衣類を投げつけ、石橋をぼかぼかと叩いた。
「映画の券なんか、くれなきゃよかったんだ。声もかけてくれなきゃよかった。最初から、何もかまわないでくれたほうがましだった」
 好男は泣いて叫んだ。
「なんでそんな、そんな中途半端に……」
 中途半端。
 その言葉が、石橋の心を鋭く刺した。

 * * *

 石橋のいちばん幼い記憶は、自分を殴りつける父親の顔だ。
 夫から逃れることを決意した母親は、幼い石橋を連れて家を出た。あちこちを転々として暮らした。自分勝手で暴力的なあの男がいつ追ってくるかとひと時も休まることがなかった。ひっそりと母子で息をひそめ生きる日々が続いた。
 石橋にとって好男はもうひとりの自分でもあった。もし母親が自分をかばわなかったら、自分を連れて家を出なかったら、石橋自身が好男のようになっていたかもしれなかった。
 成長する中でいつの間にか石橋は、自分を助けてくれた母親を何よりも幸せにすることが、自分の義務だと考えるようになっていた。

 社会人としてはきっと成功したほうだろう。好きな仕事に恵まれ経済的にもゆとりを持てた。暖かい家庭を築いて可愛い孫の顔だって見せた。石橋は充分に満足していた。していたつもりだった。
 いったい何がきっかけだったのか自分でも記憶にない。ずっと隠し通していたことなのに、ある日、石橋はつい母親に告白してしまったのだ。
 自分は、男を愛する人間なのだ、と。
 それに対する母親の反応もじつをいうと憶えていない。だが彼女が病に倒れたのは、それからいくらも経たないうちだった。

 母親の健康状態と、自分の発言とは何の因果関係もないはずだ。しかし石橋は恐れた。自分のせいで彼女の心のバランスが崩れてしまったのではないかと気に病んだ。母親に会うのが怖かった。意識が混濁した姿を見ては、自分が彼女をこんなふうにしてしまったのではないかと考え、覚醒しているときには、彼女に何か言われるのではないかと思った。
 家庭にいるのもまた怖かった。妻にも娘にもまともに向き合えなかった。自分がいつか自分の父親のようになるかもしれないという恐れが石橋をそうさせた。
 こんなはずじゃなかった。何のためにいままでがんばってきた。人もうらやむような幸せな家庭を作りたかった。そして母親にそれを見て欲しかった。だから舜介とのことだってあきらめたのだ。

 舜介。
 あいつだって傷ついたはずだ。なのにずっと変わらない態度でいてくれた。自分はそれをいいことに、ずっと我儘放題だった。
 好男の言うとおり、自分はずっと中途半端だったのだ。
 自分が傷つきたくないばかりに、物ごとを正面から見ようとせずそこから逃げているだけだった。そうやって自分は、これまで大切な人々をすべて傷つけてきたのだ。それは忌み嫌っているはずの自分の父親とまるで同じ姿に思えた。
 今度こそ逃げるまい。
 石橋は涙でぼやけた目で少年を見つめた。好男はかすかにしゃくり上げながら、感情の波が途切れたように放心している。
「好きだ」
 好男の耳もとで言った。
「うそだよ」好男がつぶやく。
「うそじゃない」
 愛している。耳もとでそう何度もささやいた。
 それはまぎれもなく、石橋の真実の言葉だった

 あのときからすでに石橋は魅了されていたのだ。映画館の暗がりで彼を初めて見た。そして日差しの眩しいグラウンドでふたたび彼を見つけた。それらはまるで光と影の織りなす美しい幻だった。石橋はいつのまにかその情景に身も心も囚われていたのだ。
 好男のやわらかな髪をなで頬についた涙をぬぐった。彼の吐息が自分の頬に触れると、心が悦びで密かに震えた。石橋はそのまま好男を自分の唇へ誘い、やがてゆっくりと肌を合わせた。

 長い時間をかけて石橋は好男を愛した。
 悦びの反面、どこかで石橋は気付いていた。これが地獄の始まりかもしれないことを。
 だが、堕ちてしまった子を救うには、自分もまたそこへ堕ちなければならない。

 とことん、堕ちてみせよう。

Tc0301
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見上げた空は 18 par.9

T021

 * * *  ≪ 18 ≫

【 parenthesis 9 ~堕ちる天使の情景~ 】

 金曜日は、ひどく冷え込んだ。
 午後になって、石橋の会社にクライアントからの急なクレームが入った。先方とともに午後いっぱいは会議室に詰めなくてはならない。石橋は合間をみて愛光園に電話をした。職員の柴田が出て、好男はすでに出かけていると応えた。仕方なくママに電話をかけてみたが、携帯電話は留守電になっている。
 夕方六時半にジョイタウンで好男と約束をしているが、もしかしたら遅れるかもしれない。そのときは申しわけないが迎えに行ってくれ、とだけ伝言を入れ、石橋は会議室に籠った。

 会議が終わったのは結局、七時半を過ぎていた。まあなんとかパーティの時間には間に合いそうだ。タクシーに乗り行き先を告げたところで、ふたたびママに電話をする。
「あ~、イシバシちゃん? ごめ~ん遅くなっちゃった。わたしもいま帰ったとこで何の準備もしてないのよ。まあ、内輪だけだし料理は適当にいいわよね」
 やたら明るい声で応対するママに、石橋は思わず
「伝言、聞いてなかったのか?」
「……伝言? 聞いてないわ」
石橋の頭から、すっと血が引いた。「よっちゃんはそこにいないのか?」
「いないわよ。よっちゃんがいったいどうしたの?」
 問いかけるママに応えるのももどかしく、石橋は運転手に「ジョイタウンへ」と変更を告げた。

 クリスマスツリーの下で、と約束をしていた。
 ショッピングモール内の中央広場にはきらびやかなツリーが飾ってあり、その周囲にさまざまなプレゼント用の商品が展示されている。
 てっきりそこにいるものだと思ったのだが、好男は見つからなかった。ひとりで見てまわっているのかもしれない、と専門店街を探してみたがそこにもいない。八時で閉店する店が多いらしく、フロアには人影も少ない。
 ふと、屋外広場に面した大きな窓に目を移し、石橋は思わず立ち止まった。店内を反射した明るいガラス越しにイルミネーションが点滅していた。そびえ立つきらきらと美しい光。うかつなことに、ツリーが設置されていたのはモール内だけではなかった。屋外にも、こんなに大きなクリスマスツリーが立っていたのだ。
 夏は噴水が涼しく快適で、そこが待ちあわせの場所だった。好男はいつも中央の円形になった場所に座り込み、水辺で遊ぶ子どもたちを眺めていたりしていた。
「まさか……」石橋の心臓が、どきんとはね上がった。

 * * *

 広場は、寒さの中にしんと沈みこんでいた。
 中央に立つ大きなクリスマスツリーの下に、好男がいた。
 膝を抱えしゃがみ込んでいる。こちらに気付いて立とうとしたらしいが、ガチガチに固まったようすで、立ちあがることすら困難そうだ。
 石橋が駆けよると、しっかりと握りしめていた何かをさし出した。陶器でできた小さな天使の人形だった。頭上のツリーから落ちたものらしい。羽根の部分がちょっとだけ欠けている。

T005
「わたしに?」白い息を吐きながら、石橋は聞いた。
 好男の身体はふるえて声も出なかった。歯の根があわずにガチガチ音をたてているのがわかる。あろうことか彼の服装はシャツに薄いパーカが一枚だ。スニーカーの足は靴下さえ履いていない。
 柴田が言っていたことが、石橋の脳裏に浮かんだ。

「鈍感なんですよ、あの子」

「苦痛や不快感に対して麻痺しているんです。たとえば人が、暑い寒いとか空腹とか苦しいとか、そういう普通に持っている感覚が、あの子の場合は極端に鈍いんです」

 何か他のことに気を取られている時は気をつけないと、というのもあらためて意味がわかった。普通だったら暖かい屋内に入るなり、相手が来ないと思ったらさっさと移動するなり、その時に応じた判断ができるはずだ。なのに好男はこの寒い広場で、来るかもわからない相手を待ち続けていた。
「すまない」石橋は繰り返した。「すまない」。自分のコートを脱いで好男に着せかける。彼の肩をぎゅっと抱きながら周囲を見回した。
 好男の吐く息は白くならない。身体が冷えきって息が外気と変わらない温度にまで下がっているのだ。少しでも早く彼を温めなければならなかった。
 隣接のホテルに慌てて駆け込み、石橋はツインの部屋をとった。

 * * *

 バスタブに湯を張るのも、もどかしく感じた。
 半分ぐらい溜まったところで石橋は好男を中に入れさせ、彼の冷えきった背中に熱いシャワーを流しつづけた。
 さっきロビーで、照明にさらされた好男の顔色はまるで死人だった。
 好男はうつむいて、石橋に湯をかけられるがままになっている。彼の火傷の痕を石橋はしみじみ見た。記録では知っていたが目の当たりにしたのは初めてだ。身体のあちこちに他にも無数の古い傷があり、思わず石橋は唇を噛んだ。
 バスルームから出た石橋はルームサービスに「温かい飲み物を」と頼み、それからママに電話をした。詳しくは説明できないがよっちゃんを連れてホテルにいる、と伝えたあと、しばらく考え携帯の電源を落とした。
 ふと、好男からもらった天使の人形を思い出しコートのポケットを探る。見つけた人形を石橋はベッドサイドに置いた。ベッドに腰をかけてしばらく待つ。
 あまりにも静かだ。
「もしや、倒れているのでは」石橋の心臓が、またどきんとはね上がる。
 慌ててバスルームに入ると、好男は湯につかったまま頭をバスタブにもたげ、軽い寝息をたてていた。
「よっちゃん」
 石橋は、ほうっと息を吐いた。
「よっちゃん、ここで寝たら風邪ひくよ」
 目をさまさない。石橋は好男の顔に近づき、しみじみと眺めた。
 唇は薄いが、中央がめくれあがってじつに愛嬌のある形をしている。鼻筋は通り、くせのあるくるんとした前髪をかきあげると秀でた額がのぞく。意思の強そうなしっかりした眉とあいまって、もし愛情をもって育てられていれば、聡明な少年に成長しているだろうとうかがえた。

 ふと、好男が目をさました。
 石橋を正面からじっと見る。まるで心の奥を見透かすかのような視線だ。石橋がたまらなくなり目を逸らそうとしたとたん、好男の表情がゆがんだ。そしてその目からいくつも大粒の涙がこぼれ落ちた。
 次の瞬間、彼は大声で何かを訴えはじめた。あふれる湯がバスルームの床を濡らす。激しい嗚咽まじりで支離滅裂で、何を言っているのかまるでわからない。
「よっちゃん」
 石橋は彼の腕をつかんだ。好男が暴れる。湯が飛んで石橋のシャツもびしょ濡れになったがかまわなかった。そのまま好男のからだを強く抱きしめる。
 好男はしばらく荒い息をしていたが、やがてぽつりと言った。
「ごめんなさい」
 石橋は抱いた腕をはなし、ふたたび好男の顔を見た。
「よっちゃんが謝ることはない。悪いのはわたしだ」
「きらいになったんじゃ、ないの?」
「何で嫌いになるんだ」
「ぼくがずるいこと、考えたから」
「……ずるいこと?」

 説明にならない説明を、石橋は好男の口から根気強く聞きだした。「ママへのプレゼント」などというのは口実で、本当は、彼自身が石橋に会いたくて誘ったのだと石橋は悟った。
 なんて拙い、子どもじみた企てだ。それに対する罰があんなふうに寒さの中にひとり放っておくことなのだろうか。だとしたら神は、あまりにも彼に厳しすぎやしないか。

「悪いのはわたしだ。わたしが遅刻してしまった」
「きらいじゃない? ぼくをきらいになってない?」
 好男はしつこいくらいに、それだけを確かめようとする。
「嫌いになんか、なってないよ」
「ほんとう?」
 不意打ちだった。好男がいきなり抱きつきそのまま唇を石橋に押しあてる。床が滑り、石橋は思わず尻餅をついた。もう全身ずぶ濡れだ。石橋はバランスを整えようとあたふたしながら彼の身体に腕をまわす。なんてやせた細い背中なんだと思うと石橋は、胸がしめつけられるような気持ちになった。
 腕にぎゅっと力を込め、彼を抱きしめた。

Tc0303
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見上げた空は 17 par.8

T020

 * * *  ≪ 17 ≫

【 parenthesis 8 ~堕ちる天使の情景~ 】

 秋から冬にかけて、石橋はやたらと忙しくなった。
 頓挫していた企画が見直され、切り口を変えて続行されることが決まった。その準備や何やかやで、まったくのところ映画に行く時間もなくなった。
 セントラルの経営権が別の人間に渡り、例の男とその両親までもが町を出たことは、ママから電話で聞いた。好男はちゃんと学校に通っているようだ。休日はどうやらママのマンションに入り浸っているらしい。
「うちにある映画のライブラリィを網羅しちゃったみたいでね。あれセット通販で買って損した~って思ってたけど、きっとこれで元は取れたわ」
 そう言いながらママは、受話器の向こうでけらけらと笑った。

 ママのほうからふたたび連絡があったのは十二月の初めだ。ちょうど出先近くの公園で、石橋は携帯電話をとった。
「クリスマス会をやろうと思うんだけど、今度の金曜日はヒマ?」
 いつにも増してはしゃいだ声だ。
「午後までちょっと用があるのよね。お店開けるのにも半端な時間だから、いっそのことお休みにして、三人でささやかにパーティなんかって。本番はあなたも家で過ごすでしょ。よっちゃんも施設でのイベントがあるそうなの。だから、今週末どう?」
「そんなこと言って。おれが、よっちゃんと会っていいのか?」
「三人だから間違いなんて起こりっこないでしょ。それにクリスマスだもの、ご褒美。よっちゃんにもあなたにも、わたしにも」
 擬似家族でいいでしょ、と笑う。
 金曜日の夜八時にママのマンションで、と約束をして電話を切ったところでふたたび携帯が鳴った。公衆電話からの着信だ。
「もしもし」
 石橋が応えると、受話器の向こうでためらう気配がある。
「よっちゃん、だね?」
 石橋は呼びかけた。ちょっと間を置いて「うん」と、小さな返事が返ってきた。

「こんにちは、ひさしぶりに声を聞くね。元気だった?」
「うん。……あのね、ママが今週の金曜日にクリスマス会をやろうって」
「ああ、たったいま聞いたよ」
「うん。……でね」
 いつも小さくためらいがちな好男の言葉を、ゆっくりと石橋は待った。
「あのねぼく、ママにプレゼントって、思って」
「うん」
「でも、何が好きかよくわかんなくて」
「そうか」
「あのね……おじさんなら、わかるかなって」
「わたしが、ママのプレゼントを選ぶってこと?」
「ん……はい」
 石橋は苦笑しながら応える。
「よっちゃんが自分で選んだほうがいいんじゃないかな。きっと何をあげてもママは喜んでくれるよ」
「あ……はい」
 そう返事をする好男の声が一気に沈んだのがわかり、石橋は柄にもなく慌てた。
「いいよいいよ。よっちゃん一緒にプレゼント選ぼう。時間や場所はどうしようか?」

 結局、クリスマス会の当日、金曜日の夕方六時半に国道沿いの『ジョイタウン』で待ち合わせをすることに決めた。  
 ジョイタウンは、映画館などのアミューズメントに大手チェーンホテルも隣接した巨大なショッピングモールだ。石橋も何度か好男と映画を観に通った。専門店もたくさんあるし、あそこなら結構いいものが見つかるだろう。
 電話を切った石橋は、なんだか心が弾んでいる自分に気付いた。
 きっと好男に会えるからだろう。「変な間違い」なんてママはこだわるが、まずそんな心配はない。二人でママへのプレゼントを選びママの家へ行く。それだけのことだ。
「それだけのことだ」。
 石橋は、確かめるようにつぶやいた。

Tc0301
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見上げた空は 16 par.7

T018

 * * *  ≪ 16 ≫

【 parenthesis 7 ~堕ちる天使の情景~ 】

 気付くと朝だった。
 石橋はママの自宅の六畳間に、じかに横たわった状態で目が覚めた。
 隣のリビングからコーヒーと焼いたパンの香りがする。朝のワイドショー番組らしいテレビの音も聞こえていた。
 石橋はびっしょりと汗をかいていた。頬を撫でると不自然にデコボコしていて、どうやら畳の模様がしっかりついてしまったようだ。リビングに顔を出すと、テーブルの上に朝食の準備ができていた。トーストにサラダとベーコンエッグ。
 好男は、こっちを見るといつものようにもぐもぐと口を動かしながら「おはよう、おじさん」とでも言うようにニッコリと笑った。
 ママが「コーヒー飲むでしょ」と席を立ち、マグカップに注いだコーヒーを手に石橋へ近づいてきた。そのままふたり六畳間まで戻り、ママが後ろ手で襖を少しだけ閉める。
 ひどく戸惑った表情でママが言った。
「イシバシちゃん、いったい何なの、あの子」
「また、何かあったのか?」
 石橋が慌てて聞くと
「いえ、あったっていうかなかったっていうか、ああ、どう言ったらいいのかしら」
 ママは混乱したふうに頭を振る。
「明るいでしょ、あの子。起きたときからあんな調子なの。お風呂に入れて食事をさせたんだけど、昨日のことなんてまるで憶えてないみたい。なんだかちょっと怖い感じで、どうしようかって思ってたとこよ」
 石橋は、思い当たった。

「おそらく記憶障害だ。何かストレスがかかって、次に起きたときにはその出来事をほとんど忘れてる。そういえば、記録にも書いてあったな。」
「……記憶障害」
 ママが眉をひそめる。
「夕べ聞いた、あれだけじゃなかったんだ」

 * * *

 昨夜、石橋がこの部屋に戻れたのは、深夜を過ぎてからだった。
 男の耳には結局、大きな傷が残ることになった。駆けつけた男の両親は、善人なのだがじつに世間知らずという体の人間で、この三人を相手になだめたりすかしたり散々な苦労をした挙句、やっと示談という形にこぎつけた。

 部屋に戻ったあと、石橋はママにすべてをぶちまけた。好男との出会いのきっかけから取材先で再会した話、その後調査でわかった彼の身の上すべて。
 そうせずにはいられない、ひどく忌々しい気持ちだった。
「母親はいま所在不明。父親の居場所は判明してはいるが、すでに親権喪失宣言がなされている。児童相談所の所長による申し立てだ」
「児童相談所の?」
「相当ひどいケースだってことだよ」
 ママが「ああ」と、うなずいた。
「記録では父親とふたり暮らしだったその間に、二回も救急病院に搬送されてる。一回は背中の火傷、もう一回は異物の誤嚥」
「誤嚥って」
「当時あの子は七歳だ。床に落ちてるものを誤って飲み込むとか、そういう年齢じゃない。窒息しかけていたあの子の喉から、いったい何が出てきたと思う?」
 石橋の口調に忌まわしいものを予感したのか、ママが美しい眉をひそめた。
「……コンドームだよ」
 その言葉を発した石橋も、まるで何かが喉につかえたように苦しい。
「あの子の食べかたがあんなに遅いのは、ものを上手く飲み込めないからなんだ。怖くてたまらないんだよ。ものを嚥下することが」

 石橋は布団のほうを見やる。好男はぐっすりと眠っているようだった。
「十歳でその家から逃げた。児童相談所に保護されるまでの数ヶ月を屋外で過ごした。寒い季節だ。寝る場所、食べ物、行きずりの大人から施しを受けその見返りを求められたとき、たぶんあの子にはあんなことしか応える術がなかった」
 石橋は、やるせない気持ちで話を続けた。
「きっとあの子なりに必死で知恵をしぼった結果だ。あの子が食事する姿を見るたびに思うよ。ああ、いま生きようとして一所懸命なんだって。誰もあの子を責められないんだよ。本当に責められるべきは、おれたち大人なんだ」
 ママが何か小さくつぶやき、深いため息をつく。
 その夜の闇は、重たく、石橋とママと眠る好男にのしかかっていた。

 * * *

「ママ、あのね。これ観てもいい?」
 襖がカラリと開いて、好男がひょっこり顔を出した。
 石橋とママが一斉に自分のほうを向いたのに、戸惑ったように目を丸くして後ずさる。好男は映画のDVDを手にしていた。「オズの魔法使」というタイトルが見える。
「朝ご飯は? 食べ終わったの?」
 そういうママの問いに「あっ」という反応をしたあと、好男の顔がたちまちしぼんだ。のぞいてみると、確かに皿の上の様子はさっきとあまり変わりないようだ。
「……ごめんなさい、まだ。」
 そのしぼみ具合があまりにおかしくて、石橋の頬は思わずゆるんだ。
 ママも苦笑しつつ
「謝らなくていいわよ、ゆっくり食べながら観なさい。機械の動かしかた、わかる?」
「うん、わかる!」
 しぼんだ顔が今度はとたんに明るくなった。跳ねるようにテレビの前まで行くと、ぺたりと座り込んでプレイヤーにDVDをセットし始める。
T001

 そんな好男の後ろ姿を眺めながら、ママは石橋に言った。
「さて。あなたもひとっ風呂浴びてさっぱりして……と言いたいところだけど」
「うん」
「そのまま帰った方がいいわね」
「うん」
「着替えしてさっぱりした姿で朝帰りなんて、わたしが奥さんだったら家を出るわ」
「……もう、出てしまってるかもしれないよ」
 石橋の返事に、ママは声を出さずに笑う。
 昨夜すっかり参っていた石橋は、結局ホテルでの妻とのやりとりもママに告白してしまっていたのだ。ママは、笑いながら石橋のマグカップを受け取った。

「ねえ、遼ちゃん」
「うん?」
「できるだけ哀れな姿で家に帰るといいわ。そして謝る。ちゃんと言葉に出すのよ。自分が悪かったって言って、泣いて謝るの。おれには君たちしかいないって、君たちがいなくなったら自分は生きてゆけないって言うの」
 ママは、カップをもてあそぶようにしながらゆっくりと微笑む。
「人はよく言うじゃない。いつも他人に見せてる顔は本当の自分じゃないからとか。本当の自分を見つけたいとか。でもね、わたし思うんだけど、そういう場合の本当の自分って、ただ『他人にそういうふうに見せたい自分』ってだけなのよね。単に、自分がかぶりたい、ちょっといい別の仮面ってだけなの。結局、それだって本当の自分じゃないのよ」
 隣室で華やかにファンファーレが鳴る。、どうやら映画が始まったようだ。好男は無事にプレイヤーを操作することができたらしい。
「本当の自分はね、演じてるときに出るの。どうしようもないぐらいそこに真実が出るの。役者経験のある人間が言ってることだから、間違いない」
 演じなさい、とママは繰り返した。
「その先、どういう仮面をかぶるのかは、その人の自由ではあるけどね」

 エレベータに乗り込んだ石橋が開閉ボタンを押そうとしていると、「それから」と言ってママが部屋から追いかけてきた。
「よっちゃんとはもう会わないほうがいいわ。変な間違いが起こらないように」
 はっと顔を上げた石橋に、ママは「心配しないで」と笑って続けた。
「あの子の面倒はわたしがちゃんと見るから。あなたは、あなた自身のやるべきことを」
「舜介!」
 思わずママの名前を呼んだ石橋に、ママは明るく手を振った。
 ガシャンと音をたて、エレベータのドアが閉まった。

 * * *

 石橋はいつものように自宅の駐車スペースへ車を入れ、玄関へ向かった。
 引き戸をからりと開けると妻の瞳が、洗い物でもしていたのだろう、濡れた手をエプロンの裾でぬぐいながら出てきた。
 瞳は、石橋に負けないくらいに疲れた腫れぼったい顔をしていた。
 居間からは古い映画音楽が聞こえている。休日の朝にはいつもかけるCDだ。いま流れているのは『マイフェバリットシングス』。
 不意に、熱いものが胸の奥からこみ上げてきた。
「すまなかった」
 石橋は言った。
「おれが悪かった。おれが、間違ってた」
 許してくれ、そう言いながら石橋は肩を落とした。
 頭を下げたとたん、こらえきれずに石橋は嗚咽を漏らした。
「おれには君たちしかいない。君たちがいなくなったらおれは……生きてゆけない」
 その言葉は、まぎれもなく石橋の真実だった。
 妻も、娘も、この家も、ささやかな庭も、音楽も、身を包む何もかもが温かく、かけがえのないものだった。それに気付かないでいたことを彼はいまさら悔いた。自分は逃げているだけだった。家族に向き合おうと努力をしないで、目の前を見ないで遠くばかり見ていた。それをあらためて悔やむと、石橋は肩を震わせ泣いた。
 とんとんとんと足音がして、本を抱えた絵里が二階から下りてきた。

T019
「パパ?」
 そう言いながら玄関先まで来ると、不思議そうに石橋の顔を見る。
「絵里」
 石橋は、思わず絵里を手元まで引き寄せ、ぐっと抱きしめた。
「パパくさい。それにおひげが痛い」
 そっけなくそう言うと、彼女は石橋の腕をすり抜け居間へ駆け去ってしまった。
 呆然とする石橋に、瞳はうるんだ眼をして微笑んだ。
「だから言ったでしょ。いまちゃんと見ておかないと、女の子はすぐに口もきいてもらえない年頃になるのよ」
 そう言って石橋の上着を脱がせ、自分の腕にかける。
「ああ、スーツがぐしゃぐしゃ。明日にでもクリーニングに出さなくちゃね」
 石橋のために、いつものスリッパを並べた。
「あなたもお風呂に入ってさっぱりして、それからまた絵里を抱きしめてやってよ」

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見上げた空は 15 par.6

T017

 * * *  ≪ 15 ≫

【 parenthesis 6 ~堕ちる天使の情景~ 】

 車を駐車場に停め、ママの住むマンションへ急いだ。
 映画館『セントラル』の入った五階建てのビルだ。三階から上は住居になっていて、ママの自宅はその四階だった。ポンコツなエレベータのある正面玄関と映画館の横からの階段と、ふたつの出入り口がある。石橋は映画館の階段を駆け上がった。
 一気に四階まで上り、はあはあと息を切らしながら玄関のチャイムを押すと、すぐにママが顔を出した。
 その姿を見たとたん、石橋の心臓は思わず天井まで跳ね上がった。ママの髪は乱れてほつれ、白いドレスシャツの胸から腹にかけて鮮やかな赤い染みがついていた。手にも赤く汚れたタオルを持っている。
「ああ」
 ママはこわばったように笑って言った。
「大丈夫。これはわたしの血じゃないわ。よっちゃんのでも」
「よっちゃんは? あ、あの男って?」
 石橋が、胸を押さえながら必死の思いでそれだけ聞くと
「説明はあと。まず布団を敷くのを手伝ってくれる?」
 ママが、石橋を室内に入れた。

 ソファに好男が横たわっている。下半身にシーツらしき布を無造作にかけただけの姿で、その布もあちこち赤く汚れていた。湯を張った洗面器が床に置かれ、その湯もピンク色に染まっている。テーブルの上にはビニール袋に入った小さな赤い何かが、無造作に置かれていた。
 好男は静かだった。どうやら眠っているようだ。石橋は自分の足ががくがくと震えるのを感じた。
「いま身体をきれいに拭いてあげてるとこだから。奥の部屋に敷いて」
 石橋は言われるままに隣の六畳間へ行き、押入れを開けて、あたふたしながら布団を敷いた。
 しばらくすると、ママが好男を抱えてきて「よいしょ」と、彼を布団に横たえた。
 ぱりっとしたシーツに清潔そうなパジャマ。好男はかすかに息をたて眠っている。やわらかそうな髪の毛が白い顔に影を落としていた。
 その穏やかな表情を見て、石橋もいくぶん安心はしたが、強い不安はまだ彼の心を揺さぶっていた。
「いったいよっちゃんに何があったんだ。教えてくれ」

 * * *

 ついさっきのことよ。
 お店の牛乳が切れてるのに気付いたから、買いに行こうとわたし外に出たのよ。
 そしたら、ものすごい叫び声がこのマンションの上から聞こえてきて。わたし、またあのガキどもがクスリかなんかやってるって思ったのよね。ええ、そんな調子でしょっちゅう住民に迷惑かけてるのあいつら。この際だから、きつくお灸でもすえてやろうと思って、五階まで駆け上がったわけ。
 ええもちろん階段でよ。イシバシちゃんとは違うの、鍛えてるの。自慢じゃないけど階段上がったくらいで息なんて切れないわよ。
 五階の部屋に着いたらガキどもみんなパニックになってて、その中でよっちゃんとあの男が……ああ、何て言ったらいいのかしら、ハンニバル・レクター教授も真っ青というありさまでね。さすがのわたしも一瞬、動けなかった。必死になって引き離したのよふたりを。
 よっちゃんはあんな感じで、服も着てなくて。もうかなりの興奮状態でね。ひどく暴れて、震えて。こっちの言うことまったく聞きそうになかったの。仕方ないからちょっとしたコツ使って失神させて。
 その間あいつはちぎれた耳を押さえて転げまわってた。くそ汚いケツ丸出しでね。
 救急車は呼んだかってガキのひとりに聞いたら、まだだって言うから、それなら筋向かいの甲田外科にこのまま駆け込めって言ってやったわ。あそこ年寄りだけどウデはめっぽういいのよ。そこに行ったとしたらあいつ、まだいるはずね。落としてった耳の半分、持っていってやんなきゃなんないんだろうけど、まあそんなの後回しよ。
 とりあえずこのわたしの部屋まで、よっちゃんを抱えて戻ってきたってわけ。
 ああ大丈夫。いますぐ起こすことだってできるわよ。起こしてみる? いい?
 ええ、そうよね。普段そんなことする子じゃないわよね。とってもおとなしい子よね。わたしもそう思ったわよ。だからまたガキのひとりに聞いたの。「いったい何でこんなことになったんだ」って……。

 * * *

 そこまで興奮気味に、一気に喋り続けていたママが、そこで言いよどむように言葉を止める。石橋は思わずうながした。
「いったい何で、こんなことになったんだ?」
 ママが短くため息をつく。ぐしゃぐしゃと髪をかき上げるようにしながら
「……あの男がね。イシバシちゃん」
「うん」
「あんたのことでね」
「うん」
「変なふうに、言ったんだって」
 頭から血がすっと抜けた。
 好男の顔を見やる。眠った好男の顔はまるで天使のように安らかだ。
 彼は自分を庇おうとしたのだろうか。ママの口調はまるで、石橋本人を責めるようにも聞こえた。
「まず甲田外科に行ってくる。一刻も早いほうがいいだろう」
 気力を振りしぼり、石橋は立ち上がった。
「そんな……格好で?」
 ママはつい口に出したのだろうが、石橋は
「仕方ないだろう!」思わず声を荒げた。
 眠っているはずの好男が、びくっと大きく跳ねた。目をつぶったまま苦しげにあえぎ、何かから必死で逃げようとするようなしぐさを見せる。
「あなたがそんな大声を出すから」
 ママは石橋にそれだけ言うと慌てて布団に向かい、ささやくような声で怯える好男をなだめ続けた。
「よっちゃん、よっちゃん。大丈夫よ。何でもないの、大丈夫よ」
 母親の法事を終えたままの黒い喪服姿で、石橋はそんなふたりの姿をぼんやり眺めた。

「遼ちゃん」
 母親の声が、遠くで聞こえた。

「遼ちゃん。大丈夫よ。何でもないの、大丈夫よ」

T016

 石橋は黒い服を着て、古い六畳間の真ん中に立っていた。
 目の前に襖がある。その襖に自分の影が映っている。影は何だかゆらゆらとして、まるで自分が実体のないお化けのようだった。
 襖は、石橋が手をかけるとすらりと開いた。暗い奥の部屋には布団が敷いてあり、誰かがそこに寝ているようだ。
「……よっちゃん?」
 奥の部屋に踏み込んだ。畳の感触はじっとり古くたわんでいて、ぎし、ぎし、と一歩ごとに音が鳴った。
 石橋が、かがみこみ布団を剥ごうと手をかけたとき、中から小さい声がした。
「……パパ」
 絵里が、顔半分を出してこっちを見ていた。長い髪が白いシーツの上でもつれ広がっている。母親によく似たアーモンド型の目が、闇の中に暗く光っていた。
「そんな目で見るな!」
 思わず石橋は叫んだ。布団に馬乗りになり、自分の娘にぐいとのしかかった。とてつもない恐怖が、急激に石橋の心を支配した。絵里が感じる恐怖なのか、それとも自分自身の恐怖なのだろうか。そのときの石橋は絵里の目でものを見ていた。重くのしかかるものに抵抗しようともがき、泣きながら必死に声を上げていたのだ。

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